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立川市の歴史を訪ねて「山中坂下の戦災碑」 [つぶやき]

投稿日時:2018/04/05(木) 20:20rss

立川市の歴史を訪ねて、今回は立川市富士見町4丁目23
「山中坂下の戦災碑」です。



太平洋戦争末期の昭和20年。
ここ立川市では2月から8月にかけて、米軍の空襲が13回もあったと記録されています。
統計にまとめられているだけでも、死者290人 被災者4,113人。
その中でも、最も激しい空襲に見舞われたのが、昭和20年4月3日夜から4日未明にかけての大規模な空襲。
立川市全域が爆弾の恐怖にさらされたと伝えられています。



そしてその時、この山中坂下にあった2つの防空壕には、地域のお年寄りや女性、子どもたちが避難していましたが、そこに爆弾が直撃。41人もの尊い命が犠牲になってしまいました。

※昭和48年頃の話では、立川市内に当時の不発弾が、200発も残っていたと言われていました。
近年、西武拝島線「玉川上水駅」西の踏切下に、芋窪街道を通す工事の際、不発弾が見つかったことが記憶に残っている方も多いと思います。



昭和20年の空襲から2018年4月4日で、73年の月日が経ちました。
そして4日。米軍横田基地に配備が決まった米空軍の輸送機5機が、横浜に陸揚げされたというニュースを聞きました。

73年前。爆弾が落とされた日と同じ日に、このニュースを聞かされるということは…
果たして、偶然の話なのでしょうか…。


by ノックアウト♪






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