トップ > たちかわPerson

授賞式 2011年9月2日 パレスホテル立川
| ――先生のご本のタイトル、ドキッとしますよね。 | |
金 |
そうですね。 でも、このタイトルは両面的に受け止められていましてね、韓国で本を贈呈すると「侵略じゃなくてなぜ征伐になっているのか」と言われたりもします(笑)。 反対に日本で私が言われるのは、侵略された側の人がこういう本を書いてくれたので、自由に研究できるようになったと。 |
| ――そうでしょうね。私もどう話を始めたらいいのだろうと思いました。 | |
金 |
日本の先生たちと親しくなって、ある程度つきあいが深まっていくと「秀吉の戦争ではすまなかった」と言われるんですね。500年前のことで謝られても困るんですけれど(笑)、そういう意識があるのでこの話題を避けたいという気持ちはわかります。 |
| ――そこにあえて切り込まれた。そもそもの発端はなんだったのでしょうか。 | |
金 |
境界というものに興味がありました。 昔NHKのシルクロードという番組がありましたね。韓国でも流行ってまして、それを見たのが小学生、中学生の頃でした。 イランの発掘を見ていると、たまに髪飾りなどが出て来るんです。それが新羅のものとまったく同じなんですね。ゴロゴロ出て来る様子を見ていて、いつか考古学者になって発掘し自分のものにしようと(笑)漠然と憧れていたんです。文明の果て、昔文明が栄えた所、それがおもしろいなという気持ちがもともとあったんです。 |

| ――日本にも興味がおありだったんですか? | |
金 |
日本には感情的な親しみを感じています。と同時に、日本が異国との関係でアイデンティティを獲得していく過程については、理性的な面で問題意識を持っています。 日本における他文明との境界が沖縄であり、韓国であり、蝦夷地。 北海道の問題は、私が研究している18世紀半ばから始まってまだ終わっていないですね。 北方領土の問題は江戸時代からの名残だと思うんです。 日本と韓国の間にあるあの島の問題も、その延長線だと思うんです。 |
| ――韓国が境界? | |
金 |
境界というのは文明の境でしょ?他の文明との衝突地点でもある。アイデンティティも漠然、二つの言葉を使う、そこはひとつの文明の終わりであると同時に始まりとも言える。韓国という国自体が境界的な意味を持っていますね、中国文化と西洋文化と日本文化との。 |

| ――それで先生は境界ということに敏感なんですね。 | |
金 |
韓国人がそうであるとも言えます。 韓国のアイデンティティ自体は北です。 高麗、高句麗、中世国家ではなく、古代国家の高句麗です。 余談ですが、私のいる高麗大学は1905年に創設された。 植民地になる直前です。 民族意識の高まり、大陸にあった高句麗に民族の原点があるという意識があって、わざとこういう名前をつけたんです。 現在ある韓国のメジャーな大学と言えば、ソウル大学と延世大学、高麗大学なのですが、ソウル大学はもともと京城帝国大学で日本が作ったもの。延世大学はクリスチャンなんですよ。だから西洋人が作ったもの。 その中で高麗大学は韓国人が自主的に作ったから一番民族的な大学なんだという主張があるんですよ(笑)。 韓国人のDNAを調べると99%が南の人なのですが、意識の中では北嗜好。大陸、サハリン、旧満州、沿海州には親近性をもっています。 |

| ――へえ〜。ちょっと私たちとは違う気が‥‥。 | |
金 |
そこが日本人と違うところですね。 日本人は北と言っても、アイヌ、蝦夷、北方と言われる所を意識していない。 領土的には日本の領土だけれど、興味はないというか。 日本は島国意識と言いますが、実は広いです。韓国は北海道とほぼ同じ面積。 北朝鮮と併せても日本の方が1.5倍ほど広い。 ですから江戸時代の古文書・古文献を読んでいると島国意識はなかった。琉球王国にはその意識があったけれど、日本国民は広いと思っていたんです。曖昧な広さではあるけれど、日本は広い。現在領海は最大限まで広がっている。それなのにあえて「島国だから」とやっているのは、ある意味被害意識であり、現代においては第二次大戦の責任意識を消すためかなとも思います。 |
| ――被害意識? | |
金 |
例えば旧満州からの引き揚げ。引き揚げの悲惨な状況というのは確かにあったと思いますが、悲惨な状況が起こる前提条件、どうしてそこに日本人がいたのか、それはあまり問われない。とにかく引き揚げは悲惨だった、貧しかったと、それだけが強調される。国が民衆を戦争に追い出したのに、国の責任がなくなって、主体がなくなって、民衆の苦しみだけが残る。 |
| ――そうですね〜。福島県の原発も同じことが言えるかな? | |
金 |
責任の主体がいつのまにかなくなって、国民に節電を強制しているじゃないですか。責任の回避です。はっきりと責任を問わないで、国民みんな頑張りましょう‥‥これは基本的に人間の特徴だと思いますね。 |
|
![]() |
||||
| ――先生の研究によれば、日本の古典にもそんな軍記があったということですか? | |
金 |
日本の古典に興味を持っている外国人だから見えてきたことかもしれない。 日本にも平家物語とか太平記とか軍記物がありますね。よく言われるのは、日本には外国との戦争がなかったので日本にはそういう文学がないと。でも実際に私が見てみたら、山のようにあったんですよ。 朝鮮太平記・朝鮮征伐記とか、義経蝦夷勲功記とか。 誰も見ようとしなかった。 それに言及しようとしないで、西鶴とか芭蕉とか美しい日本、平和日本とばかり言ってきた。 唯一の被爆国として、平和日本のブランドで日本は生きてきた。 ですからそれを言うのはあまり都合がよくないし、ある意味加害者なので言いづらかったのでしょうね。 |
| ――なんともコメントしづらいのですが‥‥。 | |
金 |
私が言いたいのは「征伐」とか「帝国主義」は被害意識から始まるということ。 世界で一番被害意識を持っているのはアメリカではないか。 それが9.11事件もあって、現実のものになりました。 それでアフガニスタン・イラクを侵略した。 防衛するという意識、それはアメリカの原体験であるイギリスからの独立というものに由来する被害意識から生まれたものと言っても過言ではないと思います。 日本もそうです。モンゴル・高麗からの侵略があって、秀吉はその復讐として朝鮮出兵をすると言っている。そういう仕組みが繰り返される。秀吉の戦争が日中戦争でまた思い出される。記憶が呼び出されて、再利用される。 |

| ――秀吉はどうやって? | |
金 |
秀吉はインドまで手紙を送っているんです。ゴアのポルトガル総督に手紙を送って、すぐ行くから降伏しろと言ってるんです。フィリピンのスペイン勢力にも送って、台湾にも送ったけれど台湾は王国ではなくて部族の集合国家だったので手紙の宛先がわからず戻って来たんです。 |
| ――手紙ってどうやって? | |
金 |
商人が運ぶんです。ともあれ、普遍的なものとして、いわゆる中国文明の外で、ある程度の力が蓄積されると発散口は中国になるのかなと。清やモンゴルはたまたま成功して、高句麗や渤海、秀吉などは失敗したケースですね。 |
| ――こうした被害意識を持つ国が冷戦時代とはまた異なる難しい局面にあって、先生は世界平和ということにどう向き合って行きたいですか? | |
金 |
今まで実現されたことはないけど、これから実現させなければならないと思っています。ドイツ語で〈Sein〉ザインと〈Sollen〉ゾレンと言いますが、「あるもの」と「あるべきもの」の二つがあります。あるべきものという理想はある程度必要だと思いますし、実際接触してみて分かり合えるということがあります。韓国でも同じなんですが、実際右翼と言われる人たちは外国に興味がないですよ(笑)。 |
| ――興味がない、利害関係がないと相手がわからないんですね。個人レベルでよく知っていると、その国の人を悪く言えないですもんね。 |

金 |
戦争でわかっていくという経緯があります。 壬辰戦争(文禄・慶長の役)に関する文献の翻訳、江戸文化の紹介。江戸文化は本当に面白いです。そういうものを外国にもっともっと紹介することが大切かなと。 お互いに興味を持つこと、知り合うことが世界平和につながると考えています。 |




