インタビュー

言葉と、日々。 岩波書店 辞典編集部 平木靖成さん岩波書店 辞典編集部 平木靖成さん

平木靖成(ひらきやすなり)さんプロフィール

1969年 福生市出身。
小学5年生から羽村市で過ごす。
東京都立立川高校卒業後、
東京大学 教養学部教養学科 中南米科に進学。
1992年 株式会社岩波書店入社、翌年より辞典部で
新漢語辞典や国語辞典などの編集に携わる。
『広辞苑』は、第五版・六版・七版を担当。
現在、辞典部の副部長(実質的には部の代表)として、
編集者たちを束ねている。

一人ひとりの言語感覚や
みんなのバックグランドの知識が頼り。

辞典の編集って、世間で思われている“原稿を書く仕事”じゃないんです。著者が書いた原稿を辞典として整合性を持たせたり、文体を整えたりする仕事ですので。その際、編集者が納得する語釈や整え方というのはあります。

ある時期に、「広辞苑、始まるぞ」ってなると、日本代表チームみたいに社内の他の部署から辞典部員になる人が集まってくるんです。そして、編集校正作業が終わると、またそれぞれの場所へと散っていく。
同じタイプの人ばかりでなく、自分が苦手なことを得意とする人、個性豊かな人が集まるほどいい。自分が読んだところを再校になったら別の人が読み、前回読んでないところを自分が読む。一人の語感だけでは足りないので、そうして他の人が気づかないところを見つけていきます。

最後の校正の追い込み段階で、メディア向けに資料を作ったり、推薦文を依頼して頂いてくるといった、作業も重なってくるんです。それも辞典部の仕事ですが、締め切りの段階で本当に大変。そういう時、「あの方にお願いすると楽しいんじゃないかな。依頼状、すぐ書いちゃいますよ」って人がいるんです。ほんとにありがたいです。

辞典作りを知るまでの
楽しい記憶があるから、やり続けられる。

辞典部に入った最初の頃は、ヒマでしょうがなかった。もともと言葉、言語学が好きだったので、言葉とつきあうこと自体は苦にならなかったです。ただ、辞典の構造とか、辞典文体とか、辞典を作るということがなんなのか、何もわからないでいたので。

そのうち、いろんな辞典を見比べたり、これは正しいかとか鉛筆書きで疑問出しをしたりするうちに、なんとなく辞典を作る作業がなんなのかわかってきた。いろんな言葉の間を、辞典の世界をかけずり回って。何してたかあまり覚えてないんですけど、今、振り返ると楽しかった。その2~3年が一番懐かしく印象的で、あとは怒涛の20年になります。

辞典作りにおいて、完璧はない。
既に、第八版への課題が見えている。

言葉が定着したかどうかの判断、流行語でないかどうかの判断を毎年して、それを入れ替えていっても仕方ないですからね。一度項目選定の作業をしたら、ある程度、冷却期間を置いてからでないと。『広辞苑』の改訂間隔の10年毎くらいが、定着しているかどうかを見る、ちょうどいい間隔なんじゃないかなと思います。

10年あるとしたら、実作業はその半分くらい。前半は、いろんな言葉集めやデータ整理、水面下での準備作業になります。周りから見たら、なにも広辞苑の仕事してないだろうなって時間。

長期的だけれど、必ずくるゴール。
それが、日々のモチベーション。

辞典作りって、来月までに一人何百項目やると、一年たったら何万項目になっている。それが繰り返されれば、必ず終わるという仕事なんです。
毎月の目標はもちろん決めますし、今年一年、ここまでやっておくべき、やっていないと困る、という作業があります。たとえば10人なら、一日に一人50ページ校正していくと一週間2,500ページ。一週間さぼって、来週徹夜したらなんとかなるかってものじゃない。規模が大きいので、後から取り返しがつかないんですよ。

計画的になるのは、怖いから。

もし何かトラブルが起きたら、最後でツジツマがあわなかったら、事故が起きたら…と思うと。じゃあ、前倒しで進めておこう、後で余裕を持てるスケジュールを組んでおこうって。 確かに、計画的になる性格なんですよ。子供の頃からそうでしたね。テスト勉強もそう、夏休みの宿題なら、出来るだけ夏休み前に終わらせたいとか。

◆学生の頃、『広辞苑』よりも外国語辞典を引きまくったという平木さん。
ロシア語・ラテン語・スぺイン語・オランダ語・韓国語・イスラーム・仏教・キリスト教…。
机に、様々な辞典が並んでいる。

言葉は一般の人々が決めるもの。

母校(立川高校)の講演会でも話しましたけど、言葉を知らないだけで人間としての能力を否定されてしまうような力が言葉にはあって、それをみんな恐ろしく思ってるわけなんです。だから言葉遣いに注意してきれいな言葉で話さなくちゃ、でないと人間性としてもダメなんだって。

みんなが日常的に使う言葉が段々くずれてきて、間違いだと言われる言葉が広がって正しい言葉になっていく。言葉の歴史はそういうもので、世間で使う人が増えていけば、えらい人が何を言っても言葉は変わっていくんです。

本来、言葉はとても民主的なコミュニケーションの手段であるはずなのに、その言葉が人を差別する指標になってしまうというのがいやだなぁって思うんです。気遣いさえ忘れなければ、もっと、豊かに自分の言葉を使っていいと思うし、それをおおらかに受け止め合えるといいと思うんですよね。

それぞれが自分の母語同士で
語り合えるのが一番。

立場も、性別も、血筋も関係なく、対等な人間関係ができればいいなって。言葉もそう、自分の生まれ育った言葉以上に使える外国語っていうのはないと思うんです。方言も含めて。北海道弁の「あずましい」と言わなければ、表現できないことがあったり。自分の表現したいことは、自分の母語で言いたい。

自分が小さくなっていく心地よさ。

『広辞苑』第七版は、責任者の立場でいたわけですけど。第七版に携わっていくなかで、編集部内で自分がどんどん小さくなっていくように感じたんです。『広辞苑』編集部が結成された当初は、前からの『広辞苑』のことがわかっている人は数人だけ。 『広辞苑』ってこういうもので、こうやってああやって、ガイダンスから何から指示を出して、采配して……もう編集部の全体重の50%くらい私が占めているんじゃないかという感じがしていたんです。
それが、段々と編集部全体が成長して体重を増やしていき、それに従って、私はそのままスーッと小さくなっていって、「みんな頑張ってね」「お願いします」っていう感じになってきた。謝ることが増えてきましたよ。「みんな、すみません、すみませんねぇ」って(笑)。

一人で出来ること、
気づけることなんて
たかが知れている。

多種多様な興味や関心、能力がある人たちが、色々な役割分担をして、それぞれのノウハウを蓄積しながら第七版をやってこれたわけですけど。残念ながら、日本代表チームなので、解散しちゃうんですね。単行本編集部に行ったり、営業に行ったり。私はたまたま五・六・七版をやっていますけど。そういう人間は極少数になります。
それぞれの人が、最終的にやり残した課題、第八版ではこういうことができたらいいなぁと思うことをまとめてくれるんですけど第八版の時に集まる人は、またほとんどが初めての人ばかりのはず。いい面はもちろんあります。同じ人が2回3回やると、飽きてきますから。でも核となる人は、どうしても部署として必要で。跡継ぎがなかなか…。

立川は、私の人生にとって、
とても大切な場所。

第七版で、国立国語研究所(緑町)の方々に「さする・なでる・こする・なする…」など、似た言葉の違いの書き分けをして頂いたんですよ。

立川に入り浸ってたのは、高校の3年間だけで今はもっぱら経由地です。昔は、南口に高架なんてなくて、駅から階段下りると広場があって。今は風景も全く違うのに、 ここの角を曲がってって、なぜかわかる。今、南口を降りて、高校の方に行くとキュンとくる(笑)。

はじめて腹を割って話ができる友達ができた街。ちょっと甘酸っぱい思い出が、あちこちに散らばっている街。無我夢中で学校行事に取り組む中で、いつの間にか成長した街。喫茶店デビューも、駅蕎麦デビューも、悪さを経験したのもみんな立川。私にとって、人生最大の転機が立川高校であった以上、とても大切な場所です。

生まれ変わったら、
別の仕事をしてみたい。

一生のうちに出来ることなんて数限られていますよね。誰でもその年数をかけて一生懸命やれば、それなりの高いレベルになれると思うんです。自分自身、酒飲んでる時間があったら、もっと出来たかな (笑)。
今、憧れるのは、声優・俳優。主役を、とは思わないです。悪役でもなんでも。名脇役になりたいなぁ。

自分の天分を活かせる仕事、
好きでたまらない仕事に出会えることは
この上ない幸せである。
しかし、そうでなくても、
目の前の仕事に真面目に取り組むことで、
誰もがその道の「プロ」となり、
誇りを持てるのだ、と励まされる。

『舟を編む』平木靖成さんの解説より


※記事の内容は掲載時のものです

by T.I