インタビュー

日本初 ! プロのけん玉師伊藤佑介氏

けん玉師 伊藤佑介氏

東京都日野市出身。
7才でけん玉を始める。

通算10度のけん玉日本一、
2つのギネス記録を樹立する。

大学卒業後、
日本初のプロのけん玉師として始動。

現在は日本全国でけん玉ショーと
ワークショップを合わせて、
年間250回以上行っている。

「将来、土日休みの会社に入ってけん玉を続けたい」
小学6年生の時、卒業アルバムに書いた。

当時、けん玉を仕事としている人は一人もいなかった。
ボランティアで回っている方がほとんどで。
けん玉でお金を稼ぐっていうのはタブーであると
なんとなく感じていたので。けん玉を仕事にするっていう、
そういう表現をしちゃいけないと子供心にありました。
でも職業にしたいという思いは正直、小さい頃から。

けん玉を始めたのは7才、小学2年生の時です。
その翌年、地元日野に「日野けん玉道場」が開設されて。
2歳上の兄と初日に入門すると、二人しかいなかった。(笑)
今、「けん玉師」としての自分があるのは、
色々と教えてくれた先生のおかげ。これからもずっと師匠です。
私も子供たちに教えて10年になりますが、
常に「技と心を磨こう」って。
中にはどんどん技がうまくなっている子もいるんですが、
「心が育たなければその技は意味がない」と言っています。

けん玉から学ぶことばかり。

師匠が、誰に対しても同じように接していたように、
自分もそういう人間になりたいなって思います。
けん玉をしながら、少しずつ人間形成していくしかないのかな。
私が文部大臣杯(現在の文部科学大臣杯)で初めて日本一をとった時、
小学6年生だったんですけど。
「どんな世界でも日本一になる人間は技だけでなく、心も鍛えていかなければ。
人格も備えた日本一になりたい」って気持ちになったのを覚えています。

それまで友達を「岡田~」と言ってたのを、
賞をとった翌日から「岡田君」と
言い出したり(笑)
もしけん玉がなかったら、人と接するのが
苦手なタイプだったかも。
もともと競技者なので、今でもパフォーマーになりきれないところもありますね。
もっとスラスラきれいにしゃべりたい。
でもこれがすべてなので受け入れて、
変えられる部分は変えていこうと。
けん玉のおかげで人間関係が沢山出来ました。
けん玉を通して人から学ぶものは、
本当に大きい。

常にチャレンジ !
道を切り開いていく、母の影響を受けて。

私が大学在学中に両親が離婚。
母は一人、見知らぬ土地、沖縄で会社を立ち上げようと頑張っていました。
大学の卒業が近づくと進路について悩んだりしたけれど、
苦労をしながらも働く母を見て、強いな、カッコいいなって。
やはり自分のやりたい仕事につくことで、輝けるのかなと思いました。

何をするにしても、すべてけん玉につながる。

けん玉師 伊藤佑介さんHP
http://www.kendamashi.com/
「紹介動画」ではショーの
パフォーマンスも見られます。

大学を卒業して一年くらい、新聞配送梱包という
夜間のアルバイトをしていました。
19時に会社に入って、22時頃出来上がる新聞を
トラックに詰め込む。 何をするにしても、
すべてけん玉につながると思っているんです。
梱包された新聞の束が積み込まれ、 それをベルトコンベアに
押し流す作業があったんですけど。
一回一回がけん玉の筋力を鍛えるんだと、
意識しながらしていました。
また空き時間には、けん玉やけん玉にまつわる
ジャグリング道具の練習をしたり。
バイト時代も、けん玉の講演依頼や教育機関から頂く
小さな施設での仕事をしたりして、すごく充実していました。
けん玉を仕事にしたいという自分の本心に、
一直線にいると感じて。

「けん玉師」という肩書。
バイトをしている間は名乗りたくなかった。

「ヘブンアーティスト」という、大道芸のライセンスが
できたんです。 なんでもチャンスがあったら挑戦したいと
思っていたので、 早速、審査を受けると幸いにも受かって。
けん玉を職業として続けていくためにも、
「ギネス」や「ヘブンアーティスト」 といった実績も必要で。
けん玉クラブもそんなバイト時代に開設しました。
今、核として続けられていることの下地を、
その一年の間にダダッと一気に作った気がします。
自分のプライドとして、バイトをしている間は
「けん玉師」と名乗りたくなかった。
そして一年後、これだけで生活できるんじゃないかって
レベルにもっていけたので、バイトを辞めて。
そこからはがむしゃらに、大道芸に打ち込みました。

不のパワーをプラスにしていける人間に。

お祭りやイベントでのショー、またパーティなど様々な場所でけん玉をしますが、
技に集中するのが難しいことも。
こちらにエネルギーを持ってきて下さる方と、もう全く違うことでワイワイ、
収集がつかない状況とか。
自分の役目として、その場ではいつもと変わらないよう心がけます。
また感情的にならないように。
強引にこちらに向かせようとしちゃうと、つい感情が言葉に出てしまう。
そうなると、さらに場の雰囲気を悪化させかねないので。
もう一つ、けん玉っていうのはやはり糸なんです。
技によって理想的な糸の長さもあって。
週に一回、仕事が多い時は一日一回替えることも。
現場によっては天井を配慮して糸の長さを変えますし、
ほつれ具合によっても糸のテンションが全然違う。
よじれなどがあるとなかなか回転がかからなかったり。
……奥深いです。

ショーがうまく出来なかった時は
けん玉に対して申し訳ない気持ちに。

ショーって、一期一会。
いいショーが出来なかったら、その一回で、
けん玉に対してのイメージが決まってしまう。
けん玉を職業にさせてもらっている以上、
けん玉のイメージを上げていきたいという
思いがあります。 だからその一回で、
けん玉の魅力を出しきれなかった
って時はすごく悔しい。
自分の技が上手くできなかった時は、
ただ自分に対しての不甲斐なさですけど。
その他の要因で上手くいかなかった時は、
けん玉に対して申し訳なかったって。

一生悟ることのないけん玉。

「一生燃焼、一生感動、一生不悟」相田みつをさんの言葉なんですが。
「一生不悟」の文字を見た時、まさにけん玉だと。
どんなにやっても悟れない。
けん玉って30000種類の技があるんですけど、実際まだまだ増え続けているんです。
特に今、海外プレイヤーの技が日本人より遥かに勢いがあって。
日本人ではあり得なかった技をどんどん生み出している。
私などが出来ない技も無数とあるんですね。

一方、日本国内で海外の方と日本の方の反応を比べると、やはり日本人の方が強い。
けん玉は日本のものなので、日本人が見ると
どういうものか、 どういう技が難しいのか、
どうすごいのか伝わるんだと思います。
ちょっとずつ、海外の方にもけん玉を親しんで
頂けているのかなって感じては いるんです
けど、まだまだこれからですね。
一回でも多くけん玉のショーをしていきたい。
そして海外にもっと、けん玉という遊びが
伝わっていけばいいなと思います。

※記事の内容は掲載時のものです

by T.I