インタビュー

第52次隊長にきく 南極観測のこれから国立極地研究所教授 副所長、北極観測センター長、
第52次南極地域観測隊長 山内恭氏

国立極地研究所教授 副所長、北極観測センター長、
第52次南極地域観測隊長 山内 恭 さん

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東京都出身。昨年、極域の気象についてわかりやすくまとめた著書「南極・北極の気象と気候」が出版された。鉄道が趣味。幼いときからずっと現在まで続いている。東工大に入学した後、土木を専攻して鉄道のことを勉強しようかと思っていたところ、応用物理に合格してしまったから、さらに気象をやっている東北大学の大学院に受かってしまったから今の道にいると話す。極地研の部屋には電車の模型が並んでいるが、南極にも持って行くのだろうか?

とてもダンディーだ。
この先生が本当に南極に行くのだろうかと思うが、
すでに3回も越冬し、
今秋出発する第52次隊の隊長だというのだから驚いてしまう。
連載を終える最終回、いろいろな話をしてもらった。

まずは鉄道の話から

 小学生の頃気象クラブで天気図を書いたり、学校の玄関にある黒板に温度を記録したりしていました。でも元々好きなことといったら、電車の方が主流。幼いときは誰しも乗り物に興味を持つが、それが終わらないで結構しつこくその後もずっと続いている。今も時間があれば電車に乗りに行ったり、写真を撮ったりしたいのだけれどなかなか。電車について研究的にコツコツ調べる人たちがいて、私も割りとそれが好きですね。今は雑誌を読んだりする程度ですが、通勤の時も毎日電車に乗る時は、今日はどういう型が来たとかチラチラ気にしたりしています。だから電車通勤は苦ではないですね。

地球の神秘

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南極みずほ基地での、分光器による太陽放射観測風景。右後ろに見えるのが30m観測塔。(1979年12月3日山内、最初の越冬の時)

 気象とか気候はとても身近なことです。空気や温度がどうなるか、天気がどうなるとか。地球というのは一方で暖まり一方で冷えてバランスをとり、今の気候が決まります。赤道域で太陽の光がいっぱい入って来る。暖まった空気は極域に運ばれ冷やされて熱が放出される。極域は地球の気候を決める非常に重要な場所なのです。空気が流れたり、海が流れたりして熱は運ばれますが、熱が混ざるので、地球全体が同じ温度に近づきます。しかし月には空気も海もないから、月の裏側はものすごく寒い。近いところでは火星や金星には空気はあるけれど、地球とは全く異なります。そういう意味では、地球は非常に特殊な星で、特にその温度がすごい。水が凍る温度と沸騰する温度の間にある。少しでもズレていると全然ちがってきますよね。奇跡的なのか必然的なのか、そこはわからないところですが。

 気象といっても基本的なところは気象庁が調べます。私たちはもっと特殊なことを調べる。例えばどう日射が入ってきてどういう風に赤外線で冷えるのか。これは熱収支を調べている写真です。日射計で太陽の強度を測るのですが、地球全体の温度は大きくはほぼ一定です。が、場所によって熱のバランスは違うわけで、南極ではどのくらいマイナスなのか、要するにどのくらい熱を放出しているのか、その仕組みや変化などを調べるのです。論文は出ていますが、まだ断定できるだけの良いデータが少ない。観測には長い時間がかかるし、よほどちゃんと測らないと何をしているかわからない。ずっと監視し、きちんと測るということでは南極が非常にいいわけです。人々の暮らしから離れているから。でも影響がないわけではなくて、CO2の濃度はずっと伸びている。じわじわと増えているし、遠いのに影響があるということが逆に大事なことです。

温暖化の話。

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南極昭和基地および北極スバールバル・ニーオルスンにおける大気中CO2濃度の変化(森本真司氏提供)

 私の属する日本気象学会は基本的に「温暖化は確実にある」という立場です。温暖化に対して懐疑論を唱える方は、専門ではない周辺の人が多い。ただ温暖化もすべてが人間活動、CO2のせいかというとそうではなくて、そこに色々な自然の変動も乗っかっていることは確かです。もう1つは時間的スケールの違いですね。10万年というスケールで見ると、確かに今は一番温かい時期なのでいずれは寒冷化するはずだと。そのこと自体はその通り。だからといって今の温暖化があまり問題ではないということにはならない。やはり10年、100年スケールでは温暖化は大きい問題です。ただ地球の温暖化や寒冷化を考える時、絶望的かどうかは微妙です。私がよく学生に言うのは、生き物は非常に強いものであって、現生人類も既に20万年生きてきた。いわゆる種としての人類はもう何百万年。彼らは氷河期、間氷期のサイクルを超えて生きているわけで、我々はそんなに弱くないんです。もちろん今のままの生活はできません。もっと辛い生活になるだろうけれど、人類が滅びてしまうなんてことにはならないと思います。もう20万年生きているということはやはりすごいです。氷河期にむしろ人類は地球全体に広がった。そういうことを皆さん、もっと考えたらどうかなと、最近は言っています。

 だからといってCO2を出していいといっているのではないです。人間は強いと言っている。紫外線のせいで皮膚ガンが増えるといいますが、そうかもしれないけれど、それは白い人がオーストラリアに行ったためで、逆に黒い人が寒いところに行くからくる病が起きるとか。もともとはみんなアフリカから来たのだけれど、長く同じところにいてゆっくり変化してきたのです。そういったことをもっと知らないといけない。

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南極初の成層圏高度30kmまでの大気をサンプリングする回収気球実験風景(1998年1月3日)

 昭和基地では温暖化はあまり目立っていません。南極大陸の東側はあまり目立たないけれど、西側、南極半島といわれるところは激しい。世界中で温暖化が激しいと言われているのは北極のアラスカ、シベリアと南極半島です。南極北極は温暖化が顕著に現れる場所のように言われていますが、昭和基地のように実はむしろ温暖化が抑えられている場所もあるのです。そのメカニズムが問題なわけで、今はオゾンホールが関係しているのではないかと議論されています。オゾンホールがあると極の風の渦が強まる。その渦が下の方にまで来て、渦が強すぎて熱が入り込めないのではないかと。ですから逆にオゾンホールが解消すると温暖化してくるかもしれないですね。元々温暖化はオゾンホールとは関係ないと言われていたのに、実はつながっているかもしれない。

第52次隊長として

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大型大気レーダー(PANSY)のイメージ

 今回のミッションは大型大気レーダー「パンジー」の建設です。私がその研究に関わっているので行く事になったわけです。パンジーは地上数十キロまでの高さの風の強さや方向を観測します。この大型レーダーひとつで多くのことがわかるわけで、たとえば先ほど話した南極のオゾンホールと温暖化のことなども調べられます。このレーダーは南極では初めてで、世界的にも日本が一番進んでいるそうです。51次隊はその建設準備の測量をした。実際に大気レーダーのアンテナを建てるのはこの52次です。大変なのはこの建設を一気にやってしまわなければならないこと。夏の間に1000本のアンテナを建てる。専門の人ばかりがいるわけではないので、とにかく人手のあるうちに建てるだけ建ててしまって、観測を始めねばなりません。夏隊が帰ってしまうともう人手はありませんからね。

 今回私が南極に行くのはちょっと予想外の話で、普通はもっと若い人が行くんです。でも高齢化社会だから(笑)。14年前、38次の隊長で最後だと思っていました。もともとスポーツも得意じゃないし、フィールド系ではなかった。それでも南極に行くのですから、そういう時代になったということです。南極観測隊の雰囲気も一方では変わらない面もありますが、やはり変わってきています。隊員の気質のようなものはだいぶ違う。今風になっています。なにかやろうとすると昔は全員が集まりました。たとえば映画を見ようというと、食堂にテレビが1台(昔は16ミリの映画)しかなかったから全員が集まりました。でも今は個室にテレビを持っている人もいるのでね。食堂で映画見ているのは年寄りだけ(笑)。これは1つの例ですが、典型的なことだと思います。

 第20次の時は電報しかなかった。28次では電話ができるようになり、38次はメール。今はインターネットもできるし、昭和基地と極地研は内線電話でつながっている。孤立感は減りましたね。

 極地研が「大学共同利用機関」であるということは、いろいろな機関と共同でやることが任務。けれどもなかなかここが難しいところです。大学に所属している研究者は教育の他は自分の研究に徹することができますが、私たちはそうではない。共同研究をやりつつ自分の研究もやらなければならない。矛盾を感じますし、結構苦労しています。また、日本の観測隊は良くも悪くもユニークなシステムで、諸外国にはなかなかない。越冬30人。夏隊を入れても60人でこれだけの多くの研究をしているわけですから、ある意味では効率がいいわけです。アメリカは千人以上。しかもその中でサイエンスに携わるのは1割。9割はサイエンスを支える人。ずっと規模の小さいヨーロッパ諸国は研究も小規模です。日本のようにオールラウンドでやっているところは少ないですが、今のままでいいかどうかは疑問ですね。観測をしている割に論文が云々と言われると、いろいろ考えます。若い人は研究していなさいということになります。だから私のような者が南極に行くんですよ。みなさん南極っていうものに興味をもたれると同時に、こういった事情も理解していただきたいですね。

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南極みずほ基地での放射観測の風景
(1979年11月26日 山内撮影)
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白瀬氷河、その流れる速度は南極随一で年間2kmを超える