インタビュー

病院の言葉を分かりやすく国立国語研究所 研究開発部門 言語問題グループ長 田中牧郎氏

国立国語研究所 研究開発部門 言語問題グループ長
田中 牧郎(たなか・まきろう) さん

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1989年に東北大学大学院文学研究科国語学専攻博士課程後期単位取得後退学、大学教員を経て96年より国立国語研究所研究員になり、06年から現職。専門は日本語学(語彙論・日本語史)。外来語の言い換え提案や、日本弁護士連合会 法廷用語の日常語化プロジェクトチーム、「病院の言葉」を分かりやすくする提案など、難解な言葉の改善に取り組む。島根県出身。主要編著書(共著)に同研究所編「分かりやすく伝える 外来語言い換え手引」(06年、ぎょうせい)など。

聞き手 清水恵美子(しみず・えみこ)/えくてびあん&多摩てばこネット編集工房

「医療」をテーマにした理由

 

編集部

今回の言い換え提案は「医療」がテーマだったのはどうしてですか?

田中

「外来語」の時に国民にアンケートをしました。
どんな分野の外来語を言い換えてほしいか。
多かった回答が〈政治経済〉と〈医療・福祉〉だったんです。そこでまずは〈医療と福祉〉を言い換えようと。ふたつやると拡散するので〈医療〉に限りました。

編集部

外来語の時にも感じましたが、面倒で大変な作業の積み重ねですよね。

田中

大変でした。
我々の研究所のノウハウの自慢できるものとして、コーパスがあります。たくさんの文章をコンピューターに入れて、それを統計処理し、言葉を整理する。その方法を使って、医療分野ではよく使うが一般の人は使わない言葉を引っ張り出す。

それを、一般の人が医療に触れる場面で出てくる言葉と、専門家だけが使うものと分けて……とそんな操作をしながら、何十万語もある中から最初は2万語。2万語から重要さやむずかしさという基準で機械的に2千語を取り出し、委員会全員で見ました。2千語なら、人が見ることができます。委員会で丸づけして100にし、少し詳しい調査をしました。1万人ぐらいにアンケートして、この言葉を知っているかとかどんな誤解をしているかとか。そこから検討して最終的に57語にしたわけです。

〈病院の言葉を分かりやすく 工夫の提案〉という本

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編集部

その57語が本になりました。
これは医療関係の方が読むものなんですね?

田中

そうです。
マニュアルにするのではなく、これを読んでなるほどと思ってもらって、ここから自分なりに工夫してもらう本。患者さんに説明する例が書いてあるわけです。

編集部

患者側の私が読んでもおもしろかったですよ。
「まずこれだけは」とか「少し詳しく」「時間をかけてじっくりと」と説明の段階が書いてあって。また「こんな誤解がある」とその実例も書いてありますし。自分がどう誤解していたかがよく分かります。〈頓服〉を会社の人に聞いたら、「特効薬?」って言ってましたよ。

田中

そうなんです。
〈頓服〉は薬の飲み方の問題で、症状が出たときに薬を飲むことです。患者さんが自分で調べるための医療用語集はすでにあるのですが、医療者が調べる本はたくさんあっても、ずっと専門的になってしまう。
でも必要なのは、実際に仕事の現場で患者さんに説明するための手引きだったんです。

医療現場での言葉の問題

 

編集部

患者さんとのコミュニケーション、相互理解は重要なことですものね。

田中

治療の方法などについて充分な説明をしなければならないと規定されたから、お医者さんはたくさん説明する。その説明が、自分の知っていることをそのままズラッと話す。どの程度伝わっているか、患者さんがどこまで理解しているかを確かめないまま進んでしまう。

患者さんとしてはサインしないと手術もできない。
よく分からないので、「サインを」と言われればたいていします。
形式が先に決まってしまって、患者さんが本当に理解して同意しているかのチェックができていなかった。

まずいと感じている人もいましたが、どうしたらいいか具体的な動きにはなっていなかったんです。

そこにこの本が出た。
医療関係者にアンケートしたのですが、一番多かった意見は
「患者さんがこんなに分かっていないと分かり驚きだった」。

編集部

がん患者会の会報など見ていると、「エビデンス」とか「QOL」とか普通に使っていますけどね。

田中

患者さんもがんや糖尿病のように長い治療に取り組まなければならない場合は、もう専門家です。そうなると言葉の壁はなくなります。
でも、最初の段階で、今までその病と縁の無かった人がいきなり大病で手術と言われて、何か決めなければいけない、急がなければというときに、「はい」と答えてしまったためにトラブルが生じることがある。
今回はそういった場合の言葉を集めたわけです。

編集部

よくできていますよね、この本。
例えば今後何かトラブルがあった時、お医者さんが患者さんにどのように説明したかが問われて、この本のここまでは説明したとカルテに書いてあったら訴えられないとか……(笑)。

田中

そこまでいけばすごいですよね。
診療ガイドラインというのがあるのですが、コミュニケーションのガイドラインになれたらすごいですよね。

編集部

うちにある〈家庭の医学〉と抱き合わせで入っていたら患者側の役にもたちますよ。

田中

それもいいですね。

そして、これからは?

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編集部

外来語、法律用語、医療ときて、次は何をやるのですか? 政治経済ですか? または、例えば外来語や医療用語の第二弾とか?

田中

そうですね。
外来語もそうですが、一回やって終わりでは本当はまずい。そこから検証して、さらにより良いやり方にしていかないと。
ご存知でしょうが、今回の行政改革で国語研も組織が変わるんです。それでこの仕事が任務ではなくなります。

編集部

……って、どういうことですか?
言い換え提案はやらない?

田中

任務ではなくなります。

編集部

つまり?

田中

今年の10月から国語研は人間文化研究機構の中に入ることになります。
新しくできたお隣の建物は東京地方裁判所八王子支部が移ってきます。その西側は研究機関。国文学研究資料館、統計数理研究所、極地研究所。その中の国文研も人間文化研究機構の一員です。
大学で言うならば、文学部の文学や歴史、文化、その中に言語ということで我々が一緒になるということです。
そこでは学術研究が中心になるので、本当にアカデミックな研究になりますね。
国語研はアカデミックなもの以外にも研究があったのですが、アカデミックなものだけが残るという形です。

編集部

では、誰が今後、分かりにくい言葉を言い換えていくのでしょうか?
こんなに地味で地道な作業を、国以外の誰がやるのでしょう?
国語研にはその役割はなくなるわけですものね。

田中

はい。かなり大幅に変わりますね。削減です。

編集部

田中さんご自身はこの研究をどうするおつもりですか?

田中

その必要性と役割は感じていますので、新しい機関にいってもやり続けるつもりではいます。
でも、それをどう発信するかは考えないといけません。任務ではありませんのでね。
同じ意見の研究者個人が集れば中味はできると思うんです。この仕事は1人ではできない。議論しながらでないとできないので。またこういう経験をした者どうしの議論は必要です。新しい人にも入ってもらって、分かりにくい言葉を分かりやすくするための言語学的方法論を確立したいです。

編集部

任務じゃないのに?

田中

いえ、きっといつか任務になると思います。やり続けてさえいれば。

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本について

国立国語研究所「病院の言葉」委員会(編著)
「病院の言葉を分かりやすく 工夫の提案」は、
3月より各書店にて購入できます。
詳しくはこちらまで。
http://www.kokken.go.jp/byoin/

撮影場所:国立国語研究所
写真:五来 孝平