インタビュー

多くの人に支えられ、
多くの人の夢を背負って北京オリンピック背泳ぎ200m男子 日本代表 中野高氏

北京オリンピック背泳ぎ200m男子 日本代表
中野 高(なかの・たかし)

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1984年生まれ。生まれも育ちも立川市。八王子高校を経て法政大学卒業。現在はミズノスイムチーム、昭和の森イトマンスイミングスクールに所属している。高校時代、欧州GPモナコ大会で高校新記録をマークして優勝。法政大学では日本学生選手権200m背泳ぎで3回の優勝経験を持つ。前日本記録保持者。

聞き手 中 薫子/多摩てばこネット編集工房

オリンピック選手の日常

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編集部

中野さんってかっこいいですね! オファーとかないんですか?

中野

オファーって、なんのオファーですか(笑)?

編集部

例えばドラマ出演とか。

中野

ないですよ(笑)。

編集部

今日はオフシーズン明けということですが、スイマーって普段はどういう生活をしているんですか? 毎日泳ぐんですよね?

中野

毎日泳ぎます。朝7時くらいから練習を始めて、10時くらいに終わらせます。それから家に帰ってご飯を食べて、少し休憩。午後また3時間くらい泳ぎますね。

編集部

6時間も! 合計でどのくらいの距離を泳ぐんですか?

中野

10000mくらいです。

編集部

それ以外にも練習はある?

中野

大学でウエイトトレーニングをしたり、バイク漕いだり。

編集部

すごい練習量ですね。喘息があったから水泳を始めたとおっしゃってましたが、風邪引いたりすることもあったでしょう?

中野

家で寝ているよりプールにいた方が楽でしたね。苦しくても続けているうちに、喘息も治っていました。

編集部

そうやって頑張っているうちに水泳に目覚めちゃったのでしょうか?

コーチとの出会い

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中野

う~ん。特に目覚めたという感覚はないです(笑)。最初はサッカーとか、みんなと一緒にできるスポーツの方が好きだったんですよ。

編集部

この(スイミングスクールの)壁にズラッと賞状がかかっていますよね。

中野

ああ、昔のですね。少しずつ速くなって、ここ(イトマン)を勧められて、小学3年からここで泳いでいます。

編集部

そして西脇正人コーチに出会ったわけですね。最初から背泳ぎだったわけではないですよね? どうして背泳ぎに?

中野

顔がでているから呼吸ができると思って(笑)。でも、実際にはキツいんですよ。ずっと息できるわけではないですから。すごく体が浮いたんですよね。こうして頭を上にして力を抜いただけですごく浮いたので、ボディポジション(泳ぐ時の体の姿や位置)が取れると。だから一番いいんじゃないかなと。

編集部

コーチと選手って二人三脚のイメージがありますが、西脇コーチとはどんな関係ですか?

中野

最初はちょっと恐い感じでした。今はすごく優しくて、当時から僕に怒るということはない。無言ですが「言わなくてもわかるだろ」っていうような。僕も自分自身でやらなきゃいけないことというのは感じていましたね。

編集部

お互いに気持ちは伝わっているわけですね。

中野

意見を言い合うのはオフが終わってからの、今日のような立ち上げの時期だけですね。自分の調子もふまえてこうしていこう、僕はこう思うというのをしっかり話してから、その通りにやっていく。僕はコーチに指導してほしくて来ているので、その下でがんばる。選手とコーチですから、水泳の時はしっかり従って、プライベートは干渉しないでいてくれる。メリハリがあっていいと思います。

北京オリンピック

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編集部

オリンピックを意識したのはいつ頃からですか?

中野

中学2年のときに初めて海外遠征に行って、たまたま世界トップの選手と泳ぐ機会があったんです。そこでこの人たちと戦えたらおもしろいなと感じましたね。同じ時期に北島康介選手たちと一緒に泳ぐことがあって、翌年のシドニーオリンピックに彼らは行ったんですよ。僕はそれを見ていて……。

編集部

悔しかった?

中野

悔しいまでいっていなかった。いいなという感じ。次のアテネの選考会では思うように泳げなくて、行けなかった。

編集部

そういう悔しさを味わってから、北京へ決まったというのはうれしかったでしょう?

中野

うれしかったですね。

編集部

オリンピックの舞台は緊張しませんでしたか?

中野

他の大会と変わらないかも(笑)。人が多いくらいで。あまり緊張はなかったです。日本選手権の方が、代表権がかかっている分「勝たなくては!」という意識が強くて。代表になってからは、自分の持てる力を出せればいいと思えるので、気持ち的には楽でしたね。

編集部

テレビで観ていてもオリンピックは競技によって、試合が夜だったり朝だったりしますよね。夜の試合ってコンディションはどうなんですか?

中野

今回は予選が夜でした。朝はやっぱり体が動かないので、夜はいいですね。

編集部

えっ? 毎朝早くから練習しているから、朝がいいのかと思ってました。

中野

いいえ。朝全然体が動かなくても、午後からだとタイムがまったく違う時がありますよ。

スランプと感謝

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編集部

アテネの選考会はうまく泳げなかったとおっしゃっていましたが、長いスランプもあったんですよね……。

中野

ありましたね。ベストが出ない時期が3年くらいありました。今も出ていないんですけれど。

編集部

オリンピック前には故障もあったとか。

中野

はい。あまり故障はないんですけれど、オリンピック前は肩を痛めていて。手が上がらなかったんです。炎症を起こしていて手が使えなかったので、キックだけやってました。

編集部

今までにも辛いことや悔しいこと、いっぱいあったわけですね。精神的にはとても強くなったんじゃないですか?

中野

あまりしたくない経験を結構してきてしまいましたよね。(笑)

編集部

そういう時はどうやって乗り越えてきたんですか?

中野

いつもいろいろな人が支えてくれているので、その人たちのためにどうしても結果を出して恩返ししたいと思って。挫折を感じた時も、さりげなく応援してくれる。みんな僕といる時は水泳の話はしないんですよ。でも別れ際とかに「頑張れよ」って言ってくれたり。

編集部

いろんな人って、家族とか?

中野

一番は家族や身内ですよね。それから高校の水泳部で一緒だった人とか、水泳をやめちゃった友達とか。その人たちの夢も僕が一緒に背負っているので。だからオリンピックが決まったときは、みんな本当に喜んでくれました。感謝でした。

水着のこと

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編集部

水着のこと、聞いてもいいですか?

中野

はい。

編集部

speedo社の水着が話題になりました。中野さんは着なかったですよね?

中野

はい。

編集部

みなさん、躊躇があったと思いますが、中野さんがミズノの水着で臨んだのはなぜですか?

中野

ミズノの新作水着を着たときに自己ベストが出たので、それを信じて、やろうと思って。

編集部

なるほど。

中野

もともとミズノの水着でベストを出したいと思っていました。結果それで良いタイムが出たので「じゃあ、もう他はいい」と、レーザーレーサーは試着もしていません。

編集部

う~ん! 若いのに律儀なんですね。

中野

いえ、本当によくしていただいているんです。恩返ししたいと思ったんです。ミズノを着て、いい記録を出したいと。

編集部

後悔はないわけですね。

中野

結果的には願いはかなわなかったのですが、自分の中に後悔はありません。

これから

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編集部

4年後は何歳になられるのですか?

中野

28です。26歳くらいが選手としてピークが来ると思うんです。そこからどう頑張るか。28で出ている選手もいるけれど。

編集部

ロンドンを目指す?

中野

一応ロンドンを目指しながら頑張るんですけれど、僕も人生がありますから(笑)。

編集部

というと?

中野

大学院へ進もうと思っています。

編集部

選手だけが人生じゃないですものね。何を研究されるのですか?

中野

社会学です。自分のやってきた水泳を生かしていきたいです。

編集部

室伏広治さんみたいですね。

中野

あの方は博士ですよね。

編集部

水泳もオリンピックも含めて、中野さんの人生を応援します!

中野

ありがとうございます。よろしくお願いします。

昭和の森 イトマンスイミングスクール にて
写真:中村 伸