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4月から始まる「オレの立川ノスタルジー」

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月刊えくてびあんの裏表紙。現在は多摩立川保健所監修の「野菜はいっぱい食べやさい」を連載しています。2019年4月号から始まったこの企画、立川市内にある多摩立川保健所「野菜メニュー店」13店舗をご紹介しています。1年は12か月ですから、1か月1店舗、1年で12店舗掲載するのが一般的。でも多摩立川保健所さんから、こんなに野菜がいっぱい入っているのだからどうしてもここも取材してほしいと言われ、それなら!とうかがったお店を番外編として掲載します。



13カ月続いた野菜の連載企画が終わったところで、2020年5月号から新しく「オレの立川ノスタルジー」が始まります。立川市富士見町にある株式会社 立川印刷所の社長、鈴木武さんにお話をうかがって、鈴木さんにとっての立川をご紹介いただきます。(写真は6月号の打ち合わせをする鈴木さん。)



この度、立川印刷所では『立川の風景 昭和色アルバム その6』を刊行。サブタイトルは『アメリカ兵の車を追いかけた立川ノスタルジー 「緑川通りの1960年代を紡ぐ」』です。鈴木さんの作る本は懐かしい写真をたくさん集めた写真集。今回は、歯科医でアメリカ車を撮影し続けた高木紀男さんの写真集です。高木さんは立川市曙町生まれ。その後日野に移り日野市で歯科医として開業されますが、立川第一小学校、第一中学校、立川高校と、ずっと立川で過ごされた方。えくてびあんでは2002年1月号にご登場いただきました。



高木さんの写真を「タチカワ エアベース カーウォッチング(けやき出版)」で見た鈴木さん、ものすごい感動を覚えたそうです。自分の中にある「立川」を発見、自分の原風景はここにあるんだ!と自覚できたのだとか。鈴木さんは昭和40年~50年代の立川をよくご存知です。6月号に掲載する幼稚園の頃の話をしていた時、中央線が多摩川鉄橋を越えて立川に入るところ、普済寺のすぐ下に踏切があったと話されました。それってどこ?どこに踏切があったの?ということで、行ってきました。今は入れないように柵がされていますが、確かに踏切があった跡があります。この踏切の下にもぐると、上を電車が通るのが見えたそうです。



どんなに消そうと思っても、立川に米軍基地があった事実は事実です。それが良いか悪いかより、その時代に生まれ育った鈴木さんには、その時の立川がオレの立川なんだとおっしゃいます。その頃の立川をノスタルジックに紡いでいく企画。

4月19日発行の月刊えくてびあん5月号から始まります。乞うご期待。

by JK