街情報

緑川①昭和記念公園曙口から

  • エリア 曙町
  • ジャンル 立川の歴史
月刊えくてびあん3月号「立川深層⑥」は、
見えない川「みどり川」でした。
その中でもご紹介しているように現在緑川の姿をみることはできません。
交差点の名称に橋の名前が残っていたり
ところどころに橋の欄干をみることができます。
また、北口の主要幹線が「緑川通り」と名付けられているので、
訪れる方は緑川という名称に馴染みがあります。

しかし、この川が一体どんな川だったのか
どこからどこまで流れていたのか
今回は残された痕跡を追いながら緑川を歩いてみます。

緑川ができたのは、飛行場ができて、それまで自然に浸透していた水が
駅前に流れ込むようになり、大雨の際にはたびたび水没することになりました。
そこで排水溝の計画に着手することのなりました。
米軍の重機が入ることで一気に工事が進み完成したそうです。
川という名称はついていますが、排水溝であり、その後は下水管が通って暗渠になりました。

古い地図などでみると緑川は国立病院の西側から現在の緑川通りまで南に流れています。
その国立病院が現存しないので、確かなことは言いにくいのですが、
昭和記念公園の曙口あたりが始まりではないかと思われます。
(下の写真は現在のものではありません。新型コロナウイルスの影響で休園中。)



昭和記念公園西大通り(という名称だった思います)を南に。



この下に緑川の後できた下水管が通ってします。
資料によると、この辺りには北から25号橋、24号橋、23号橋と3つの橋があったそうです。



立川北駅交差点。
ここで緑川通りと交差します。緑橋という橋があったそうです。
ここから東に(ちなみに、西方向も緑川通り)。



東に進むと横断歩道。
新仲橋という橋があったそうです。



立川市の北口の中心ですから、このあたりで緑川の痕跡をみることはほとんどできません。

by JK