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歴史と文化の散歩道④-6矢川から多摩川方面を歩く

  • エリア 柴崎町
  • ジャンル 立川の歴史

前回は根川緑道の西端にまで歩きました。

ここから北へ進みます。
向かって左手の坂を登ります。



市民農園を過ぎてすこし行った民家の間に「沢稲荷」があります。
「沢」というのは、このあたりの古い地名だそうです。



「沢稲荷」
住宅にはさまれた細い路地を入っていくと、小高い塚の上に祭られたお稲荷さんがあります。
このお稲荷さんは、長い間水田の神様として付近の人々の信仰を集めてきました。
いまでも2月の初午の日には近所の人たちが、五色の幟を立て、お供えを上げて沢稲荷を大切にしています。
沢稲荷のある塚はその形から、6~7世紀頃に、この地に勢力を持っていて、大和政権とつながりのある人物の古墳(円墳)ではないかと考えられています。(立川市のホームぺージより)




道なりに進むと柴崎四西公園、
この一角に「学校発祥之地」石碑が建っています。

「学校発祥之地」
この地は立川で初めて独立校舎が建てられたところです。
江戸時代、柴崎村の子どもたちの教育は、普済寺や諏訪神社で行なわれていました。
明治維新後の明治3年(1870)、市立第一小学校の前身である郷学校が、普済寺にある塔たっちゅう頭(子院)心源庵で開かれました。
村の子どもたち40名が、4人の先生から「読み、書き、算盤」を習ったとのことです。
この郷学校は、その後、明治5年の学制発布によって耦穎(ぐえい)学舎、柴崎学校(明治8年)と名を変えて存続しましたが、やがて生徒の数が増えたため、独立校舎を建てることとなりました。
明治11年、村人たちの熱意によって柴崎四西公園の地に2階建ての校舎が完成しました。(立川市のホームぺージより)




by JK