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歴史と文化の散歩道⑤-4山中坂地蔵堂

  • エリア 富士見町
  • ジャンル 立川の歴史
歴史と文化の散歩道、古村を歩く(富士見町編)の続きです。
前回は滝の下橋でした。

滝の下橋から少し残堀川を下ります。
前回も書きましたが、用水路からの水が合流しているので
上流の残堀川よりは水量があり。魚も泳いでいます。



しばらく歩いたところにかかっているのが山中坂橋。



坂の中ほどに祠があります。



「これは戦災供養地蔵尊で、小さな祠の中にはお地蔵様が祀られています。
かつて山中坂には段丘の崖を利用した防空壕がありました。
当初、市役所の公文書を避難させるために掘られたものでしたが、戦争がひどくなると、空襲警報のサイレンが鳴るたびに、近所の人々がここへ避難するようになったのです。
昭和20年4月4日未明、米軍の空襲を知らせるサイレンが鳴りひびき、近くに住む老人や子どもたちが、ぞくぞくとこの防空壕の中へ逃げ込みました。
そこへ、米軍爆撃機B29の落とした250キロ爆弾が命中したのです。そして防空壕に避難していた42人(このうち子どもは32人)の人たちが亡くなりました。
山中坂のお地蔵様は、この時に亡くなった人々の霊をなぐさめるために建てられました。」
立川市ホームページより。



山中坂悲歌が記されています。



坂を登ったところに歴史と文化の散歩道の説明版があります。
「柴崎村の古道と山中坂
この崖沿いを通る道は、江戸時代頃から残る古い道です。青梅や五日市方面へ通じているため、当時の記録には「青梅道」「五日市道」など記されています。
山中坂はこの古道から崖を下る坂のひとつ、「山中」とは、この崖上の地域に対する古くからの呼び名です。坂の途中には昭和二十年四月の空襲による被害者を慰霊する地蔵尊と歌碑が建てられています。」



by JK