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中神引込線④モニュメント

  • エリア その他
  • ジャンル 立川の歴史
中神引き込み線の続きです。
前回は大回り路線を紹介しました。

今回は大回り路線と小回り路線が交差する地点のモニュメント。



モニュメントには説明版があります。
少し読みにくいのですが、



この道路は、青梅線中神駅から敷設されていた貨物専用の引込線廃線跡で、ここから北は2路線に分岐していました。引込線は、この地域の歴史を物語るように工廠線、あるいは立川基地引込線とも呼ばれました。
引込線が敷設されたのは昭和18年(1943年)といわれ、陸軍唯一の飛行機製造部門として昭和15年(1940年)4月1日に設置された航空工廠への資材運搬用路線でした。
昭和20年(1945年)、太平洋戦争が終わると航空工廠を含む立川飛行場一帯はアメリカ軍に接収され、立川基地となりました。工廠線は、そのままアメリカ軍専用線(1.9km)として使用され、主に航空機燃料や重油が運ばれました。
立川基地は、昭和52年(1977年)11月30日、日本に全面返還され、引込線も昭和53年(1978年)7月1日付けで正式に廃止されました。このほど道路として整備したもので、レールや転轍機(ポイント変換機)は当時のものです。
平成12年(2000年)3月昭島市



この通りは中神引込線通りと名付けられています。



by JK