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インタビュー

御伽草子を深く読む
アカデミックたちかわ――国文学研究資料館国文学研究資料館 准教授 齋藤真麻理氏

国文学研究資料館 准教授 齋藤 真麻理(まおり) さん

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「一寸法師」に「ものぐさ太郎」、「おむすびころりん」
どこかで聞いたような、読んだような話の中に、
人々の暮らしと夢が息づいている。

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編集部

先生のご専門は?

斎藤

室町から江戸にかけての説話研究です。博士課程に入った頃は、室町末に作られたお経の注釈書を勉強していました。面白いたとえ話や和歌、ことわざ、御伽草子とそっくりの話などが載っていて、興味を持ちました。御伽草子も室町から江戸にかけて作られたもので、『一寸法師』『ものぐさ太郎』なども御伽草子です。たいてい綺麗な挿絵があり、絵と一緒に楽しまれていました。そこでいくつかの作品を読んでいるうちに、観音信仰が反映されている挿絵に出会ったのですが、本文にはそんなことは書かれていない。その時、本文だけでなく、「挿絵を読む」楽しさを知り、御伽草子も勉強するようになりました。

編集部

今日ご紹介くださるのは‥。

斎藤

「在米絵入り本の総合研究」という共同研究についてです。今年度から本格的にスタートして、3年計画で進めています。

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編集部

在米ですから、アメリカにある日本の絵入り本ですよね?

斎藤

はい。主にアメリカ東海岸の図書館などが対象です。最初に調査を始めたのは、ニューヨーク・パブリック・ライブラリーという図書館です。ここは寄付に基づいて運営されています。人々に開かれている、という意味でのパブリック=公共図書館なんですね。

編集部

いかにもアメリカらしいですね。

斎藤

ええ。そこの「スペンサー・コレクション」という特別コレクションを調査しています。
このコレクションには悲劇的ないきさつがあって、明治の頃、いろいろな絵入り本を集めていた、ウィリアム・オーガスタス・スペンサーさんというコレクターがいらしたんですね。日本の絵巻や絵本も持っておられましたが、1912年、あのタイタニック号に乗っていて、亡くなりました。40代だったそうです。その後、1927年に奥様が蔵書と基金を図書館に寄贈なさった。図書館側もさらに本を購入し、現在の蔵書は600点を超えています。
日本の絵入り本の一大コレクションとして有名です。

編集部

それを外国の方も含めていろいろな方と一緒に研究するわけですね?

斎藤

そうですね。挿絵も研究対象としますから、やっぱり文学だけだと足りない。美術史だけでも足りない。ですから、文学、美術史、歴史、民俗学、その辺りをお互いに‥。

編集部

補い合って‥。

斎藤

ええ。数人のチームを組んでは、スペンサー・コレクションやメトロポリタン美術館、ボストン美術館、シカゴ美術館などに伺っています。素晴らしい絵入り本をお持ちのコレクターもいらっしゃいますが、どこに何があるか、完全には分かっていません。まずは基礎的な調査をもとに研究を進めて、成果は一般の方にも分かりやすくまとめ、出版する予定です。

編集部

先生はこの中でも御伽草子を研究されているんですか?

斎藤

そうですね。御伽草子はさまざまな主人公が登場しますが、特徴的なのは庶民物。庶民が主人公の物語は、それまでは余り例がないですよね。でも、御伽草子の時代には、庶民が活躍して富貴繁盛、めでたしめでたし、で終わる物語がたくさん作られました。庶民の夢を語ったのかも知れませんね。また、人間以外のものが活躍する作品も、私は好きです。動物や植物、道具が擬人化され、人間顔負けの歌合をしたり、恋をしたり、見ているだけで楽しくなります。その上、実は『源氏物語』を踏まえているなど、作者の教養が隠れていたりする。当時の学芸、教養が盛りこまれ、知的な遊びに満ちているところに、魅力を感じます。

編集部

調べるのは大変そうですね。

斎藤

謎解きみたいで楽しいですよ。古典というのは何か特別なものではなくて、何世代か前の人達が、実際に楽しんでいたものです。現代まで受け継いでいる部分もあれば、意味が分からなくなったり、失われたりした部分もある。ですが、研究者でなくても自分たちの足元を知るのは面白いし、大事なことではないかと思います。

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編集部

例えば?

斎藤

スペンサー・コレクションでいうと、この『鼠草紙出世物語』。
これはめでたづくしの話で、都の白鼠が美人鼠と結婚、一度は生き別れになりますが、人間に助けられて帰京し、人間も白鼠から福を授かります。挿絵は白鼠ばかりです。
ところで今はお正月に書き初めをしますが、昔は「読み初め」という風習もあって、新しい年が幸せであるようにと、おめでたい物語を読んでいました。この白鼠の話も読み初めの物語だったようです。
白鼠は大黒の使者で、福を授けるめでたい動物と考えられていたんですね。昔話「おむすびころりん」でも、主人公は鼠から宝物をもらいます。そして、こうした信仰は少し前まで生きていた。
近代の作家、中勘助の書いた『銀の匙』には、白鼠を「お福様」と呼んで大事に飼っていた人の話が出てきます。こうした信仰は、もうあまり残っていませんけれど。

編集部

そうですね‥。描かれたものだけを眺めたのではわかったようでわからない。

斎藤

はい。その話の何が面白かったのか、その時代は何を大事にしていたのか、知っているつもりで通り過ぎてしまうと、見逃すものが多い気がします。

編集部

なるほど、その具体的な例もあげていただけますか?

斎藤

では、今日はちょうど、本物の御伽草子絵巻をご覧頂こうと思っていたので、その話をしましょうか。
これは国文研の貴重書の『大黒舞』という絵巻です。庶民が幸福になる話で、昔話「わらしべ長者」と似ています。奈良吉野の里に住む男が、何とか裕福になって親孝行をしたいと、清水の観音にお祈りする。そうしたら、わらしべを授かる。帰り道、「ありの実売り」に会う。「ありの実」は梨のことで、「無し」に通じるのを避けた言い方です。この人が鼻血を出している。それで、わらしべをありの実売りにあげるんです。っていうのは、当時の俗信では、小指をしばると鼻血が止まる…(笑)。

編集部

鼻の穴に入れるんじゃないんだ(笑)。

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斎藤

違います(笑)。こんな俗信が入ってるのがまた面白いのですが。とんとん拍子に豊かになって親孝行していると、大黒天が来て、隠れ蓑や打ち出の小槌などのお宝をくれる。挿絵では、大黒のお供は白鼠でしょう?
さて、その日は節分で、誰かが荒々しく戸を叩く。すると、大黒天が「あれは鬼だ」ってささやくんです。そこで豆まきの方法を教わって撃退するのですが、「ささやく」という行為はちょっと大事なのです。
現代の「ささやく」は、人に聞かれたら困ることをヒソヒソ話す、という感じですよね。ですが、かつて「ささやき」は神仏の託宣と結びついていました。古典作品の中でも、祝詞をあげたり、神仏がお告げを下す時―神仏と人とが言葉を交わす時―は、ささやく場合が多い。
今の「ささやく」とは違うのだけれど、この言葉は今でも使うから、意味を知っているつもりでいると、読み飛ばしてしまう。この大黒天のささやき、本来は神仏のささやき、お告げのイメージがあったろうと思います。

編集部

へ~。そうだったんですか‥。

斎藤

御伽草子には、その名も『ささやき竹』という作品があって、国文研も所蔵しています。
昔話「牛になった花嫁」や落語「お玉牛」と近い話です。美しい娘に恋した老僧が、本尊のふりをして偽のお告げをささやき、失敗してしまうのだけれど、この挿絵、立派な身なりの僧侶が仏間からささやいているでしょう?僧侶の罪深さを強調する表現になっているんですね。
でも、他の図書館が所蔵している『ささやき竹』では仏間ではなく、僧侶も簡素な姿で描かれています。つまり、テキストによって挿絵が違う、物語世界が違うのです。ですから、やはりまずは地道な調査が必要で、そこから本格的な作品研究が始められるわけです。
ちなみに、国文研の御伽草子絵巻や絵本は、全文をカラー画像で公開していますので、是非、絵入り本の世界をのぞいてみて下さい。

国文研ホームページ 新奈良絵本のデータベースをご覧ください。