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立川深層1月号こぼれ話北口駅前大通りの話

  • エリア 錦町
  • ジャンル 立川の歴史
今月の「月刊えくてびあん」はご覧になられましたか?
今月の「立川深層」は「北口駅前通り」。
「建物疎開」のお話です。



北口大通りは、今や立川の大動脈ともいえる道路。中央分離帯のある30m幅の道路です。
昭和15年に立川市が市制施行されたころは7mほどの道路でした。
当時は「仲町(なかちょう)通り」と呼ばれていたそうです。
今はこの名前をご存知の方も少なくなってきました。

「疎開」と聞くと、戦後生まれの私は、テレビや映画などでおなじみの学童疎開をイメージします。
しかし、戦中都市部では空襲による火災延焼を防ぐなどの意味から建物の疎開、
簡単言えば取り壊しが行われていました。
それも、有無を言わせぬものだったそうです。

立川には飛行場があったので、周辺は特に危険と建物疎開が行われました。
ところが、立川の空襲はそれほどでもなく、むしろ工場のあった東大和の空襲が酷く、
その流れ弾が、砂川の畑に落とされ、「立川より砂川の方が空襲がひどかった」とか。

この建物疎開にあった人々の多くは錦町に引っ越したそうです。



by JK