インタビュー

支援P 井上英徳さん in Nagano災害ボランティア活動支援プロジェクト会議派遣員

全国各地に甚大な被害をもたらした
台風19号(令和元年10月6日発生)。
災害ボランティア活動支援プロジェクト会議(支援P)
派遣員として活動する井上さんは、
長野市南部におけるボランティアセンターの
立ち上げと運営に貢献。
地元立川で地域の仕事も多数こなしながら、
長野を往復する多忙な日々を送られている。

井上英徳(いのうえひでのり)さんプロフィール

1968年立川市出身。
小室ホールディングス株式会社 代表取締役
災害ボランティア活動支援プロジェクト会議 (支援P)派遣員
保護司(法務省東京保護観察所)
法務省立川拘置所篤志面接委員
アメリカ心臓協会一時救命指導員
東京消防庁認定応急手当普及員
赤十字救急法救急員
日本防災士会・東京多摩ブロック事務局長など
ボランティアを中心に10を超える役職を兼任。

ボランティアを始めたきっかけは、
1995年に起きた阪神淡路大震災。

神戸市東灘区で救援物資を運搬する
お手伝いをさせて頂いたのが最初です。
その後、新潟県中越地震など
大きな災害が起こるたび、
被災した行政への支援を行っておりました。
企業ボランティアというよりは、
一個人の取り組みといった感じです。

先代である私の母親が、ボランティア活動に
非常に関心の高い人間でしたので、
有休を使って自由に動ける社風が
昔からありました。

立ち上げから運営まで、
 ボランティアセンターを支える
「支援P」という仕事。

私は今、「災害ボランティア活動
支援プロジェクト会議」という組織に
所属していて、そこから派遣の要請を受け
全国の被災地へ。

災害が発生すると、
我々「支援P」と呼ばれる人間は
いつからどこに入れるかということを連絡します。
長野については、ボランティアセンターの
立ち上げ日から支援することになりました。

被災地の社協や、
各団体の方々と連携しながら。

被災場所でニーズを収集する方が、
状況や被災者の方々を見て
きちんと情報を拾い上げられるよう
お手伝いするのも「支援P」の仕事です。
ボランティアセンターを管理する
社協(社会福祉協議会)の中には、
初めて被災される方も多くいらっしゃる。
センターがきちんと機能するよう
社協はじめ、各団体の方々と連携しながら
調整を図っています。
私も元々は、作業のボランティアをしていました。
泥出しをしたり、チェンソーを持って山に行き
流木の切断をしたり。
「支援P」は、私に限らずそうした専門技術を
踏んできています。
現場のこともわかる人間がセンターにいると、
サポートで来て下さるボランティア仲間も
安心されるようです。

空振りをさせないマッチングが重要。

どうして自分の能力をもっと活かせる作業場に
入れないんだろうと思うことが、
かつて私もありました。

運営側になってわかったのですが、
混乱期の現場では送り出すだけで精いっぱい、
被害の状況とボランティアの方のマッチングが
うまく出来ないということが起きてきます。
最終的に困るのは被災者の方々ですから、
特殊な技術をお持ちの方には、
なるべくそうした現場に入って頂きたいです。

ボランティアに来られた方がやりがいを感じて、
リピートして頂けるように。

熱い思いでボランティアに来られる方が多いので、
適切な作業を用意できずにお帰り頂く時は
本当に申し訳ない気持ちになります。

特に水害ですと、被災者の方は毎日
泥と格闘して相当疲れていらっしゃいます。
力仕事だけでなく、
お話し相手になって頂くというのも
立派なボランティアで、必要だと思っています。
それぞれの能力や経験を活かして頂けるよう、
つなげて差し上げたい。

他県の園児から届く絵やメッセージが、ボランティアセンターに温もりを添える。

いつも被災地のどこかにいる
立川の災害ボランティア組織 SeRV(サーブ)。

被災地に雪が降ったりすると、
ボランティアが集まりにくくなるという問題も。
地元主体のボランティアを育成するため、
長野市南部のセンターでは
これまで交流を続けてきたベテランに声をかけ、
地元で取り組める方々に作業のノウハウなどを
伝えて頂いています。
立川のボランティアといえば
柴崎町のSeRV (サーブ)さんですが、
私も現地で一緒に活動することがよくあります。
「東京の立川なんですよ」と言うと、
皆さん喜んで下さって。
彼らの活動についてはよくわかっていて、
我々「支援P」は絶大な信頼をおいています。
オレンジのビブスを見つけたら
必ず私から声をかけに行くほど。
なにより、地元立川という接点や
つながりがうれしいですね。
商店街の仲間が来てくれた!って。

SeRV(サーブ) 一人ひとりの「何かしたい」という思いから生まれた真如苑救援ボランティア。1995年(平成7年) 阪神淡路大震災発生時に設立。

保護観察や地元商店街の仕事、
いくつもの案件を同時進行。

漠然とですが、小さい時から
人の役に立つ仕事をしたいと思っていました。
人に何かをして、応えるのが好きなんでしょうね。

災害ボランティアに携わるようになって、
人生観や自分の生き方が180度変わりました。
人にたのまれて、イヤと言えなくなったのが一番。
また、心底、他を思いやれるようになりました。
それまで結構、自分勝手な生き方を
してきたのかなって思いますね。

被災者の方と接させて頂くことで、
気づかなかったことが見えてくる。

自分がしたいことよりも、
まず相手が求めていることを。
言われないことを察知するのは難しいですが、
相手の立場になって話を聞いたり
力になって差しあげることが大切ですね。

泥に埋まってるお家もまだまだあります。
「水害に遭う前はこうだった、ああだった…」
被災者の方から良かった頃のお話だったり、
ご家族やご親族の方が亡くなったことを
聞かせて頂くのはとてもつらいです。
話したくないことは聞かないということも、
大事かもしれません。
こちらからどんどん立ち入って話をしないよう
私自身、心がけています。

笑顔を絶やさない。

我々支援者はあくまでも
被災して頑張られている社協の皆さんを
支える立場ですので、疲れてる態度を
見せるべきではないと思っています。
常に笑顔を絶やさず、
笑いながら出来るといいかなと。
同じ環境で長く一緒に取り組んだ方とは
信頼関係というか、自然に絆ができていく。
今もつながっていて、
得難い仲間になっていますね。

「支援P」活動は、
 私にとってひとつの恩返し。

ハードな人生へと、急に舵が切られた
感じではありますけど、日々充実していますね。
現在、被災地にいるのは週4日ほどでしょうか。
少しでも安心して頂けるなら、そちらを優先したい。
努力しているわけでも
特段出来ているわけでもない私を、
皆さんが引き立てて下さっていることに
感謝しています。
根本に、私が一番落ち込んでいた時、
色々な人に助けられたというのがあります。
ボランティア仲間を含め、
沢山の方に支えて頂いた恩返し。
今後も健康で、身体が続く限り
継続していきたいと思っています。
※記事の内容は掲載時のものです

by T.I