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インタビュー

本質的な悩みを扱う――それが文学。
アカデミックたちかわ――国文学研究資料館国文学研究資料館 研究部研究主幹 調査収集事業部長 寺島恒世氏

国文学研究資料館 研究部研究主幹 調査収集事業部長 寺島 恒世 さん

国文研の事業は大きく三つに分かれている。

一つは調査収集。
全国の研究者と連携して日本文学および関連する
原典資料の所蔵先に赴いて調査研究をおこなう。

二つ目はそれら集めた資料を利用してもらうこと。

三つ目は社会連携活動。

今回はその中から調査収集事業部長の寺島恒世教授にお話をきいた。

編集部

寺島先生は研究部研究主幹でいらして併任で調査収集事業部長もされていらっしゃる。

寺島

扱うものは古典を中心に、明治の中頃以前の古いものをいろいろ調べて集めて研究しています。事業は事業ですが、研究とは密着していますね。

編集部

先生の本来の研究は何なのですか?

寺島

和歌です。新古今和歌集。

編集部

和歌はいつからお好きだったのですか?

寺島

高校時代の授業で魅了されて。
最初に魅せられたのは新古今の一首でした。「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」っていう歌です。見渡すと花も紅葉もない。「浦の苫屋」って漁師が住んでいる小屋ですが、それが見える秋の侘しい風景だと、それだけの歌なんですけれどね、すごく魅了されましたね。

編集部

景色が浮かびますよね。

寺島

この歌になぜ惹かれたかというと、見渡すと春の花も秋の紅葉もない。浜辺にはセピア色の風景しかないと詠んでいるんだけれど、実は「見渡せば花も紅葉もなかりけり」で読者の頭の中には花や紅葉がパーッと幻のように浮かんで来る。そういう仕組みの歌なんです。
これは藤原定家の歌ですが、上手いな~って思ったのがこの道に入るきっかけ。それで新古今を生み出した時代とか定家に興味を持ち、特に定家と一緒に新古今を編んだ後鳥羽院を中心に研究しています。

編集部

全国津々浦々収集事業をされていて、例えば後鳥羽院のことで何かあっというようなものに出会うこと、あるのですか?

寺島

はい。最近小さな論文を発表したんですよ。自筆のものはいいです。

編集部

自筆がある!

寺島

あるある。これが自筆なんですが、今僕が非常に興味を持っている、陽明文庫にある国宝ですね。
熊野懐紙という、そんなに上手くないように見えるのですが、これをずっと見ていたらね、ここの字が違っていてね。こういうところが本物を見てわかる。「うらさむくやそしまかけてよるなみをふきあけの月にまつかせそ」、ここが問題なんです。

後鳥羽院 熊野懐紙
うらさむくやそしまかけてよるなみをふきあけの月にまつかせそしく

編集部

松風ぞ吹く‥‥。

寺島

そう。後鳥羽院が亡くなって八百年くらいずっとそう読まれてきたわけです。
ところがよく見てみると、この「ふ」っていう字、薄いんですよ。僕の結論からいうと、これは後鳥羽院の字ではない。後鳥羽院の字は「よるなみをふき」の「ふ」。この変な薄い「ふ」は、もともとは「し」で、「まつかせそしく」って書いてあります。
でも「松風ぞしく」じゃ意味が通じないから、後人が、天皇の筆だから畏れ多いにもかかわらず、明らかに後鳥羽院の間違いだと思ってふと書き入れちゃった。以来ずっとそう読まれてきたというわけ。
でもよく調べてみると、「松風ぞしく」っていう言い方はあるんです。「しく」は「しきりに~する」。松風がしきりに起こるという意味です。

編集部

なるほど~。

寺島

しかもなぜ「ふく」だとおかしいかと言うと、「よるなみをふき」と言いながら、また「ふく」を使うと言葉がダブってしまう。三十一文字の中で同じ言葉を二度使うのは素人。ありえない。この「まつかぜそしく」は斬新な試みだと思います。これも直筆をジッと見ていてわかってくることなんです。

編集部

文字が口をきくわけですね。直筆の力ってすごい。私も高校生の時和歌の一首に魅了された一人です。「しのぶれど色に出にけりわが恋は」

寺島

「ものや思ふと人の問ふまで」。良い歌知ってますね~。
百人一首に入ってる平兼盛の歌ですね。壬生忠見の「恋すてふわが名はまだき立ちにけりひと知れずこそ思ひそめしか」とペア。天皇が主催した歌合わせで、「しのぶれど」と「恋すてふ」を競わせた。どちらも似ている歌ですよね、秘めた恋をしているけれどつい出ちゃったというのと、恋しているという私の名はもはや噂になってしまったという歌。甲乙つけがたかったけれど、天皇がこちらを吟じていたので勝ったという逸話が残っている。

編集部

現代人の私が聞いてもこっちがよかったわけですから、昔も今も人の感性は「しのぶれど」なんでしょうね(笑)。

寺島

僕もこの歌は百人一首の中で相当好き(笑)。
ところで、歌もいいけれど、実はえくてびあんさんにお話ししたいのはこれですね、「方丈記」。「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず」ね。あの方丈記は今何種類あるか知っていますか?

編集部

何種類って?一つしかないと思っていますが。

寺島

ですよね。だからそこが国文学研究資料館の調査収集事業部が存在する理由です。
方丈記といっても三十種類以上ある。
写本で人が写すからどんどん変わって行くということもあります。書き直しちゃっていることもありますよね。そういう書写の場合の問題をクリアするのが僕らの学問であるわけです。
もうひとつは作品が違う。

編集部

作品が違う?

寺島

方丈記は大きく分けて僕らが普通に読むものとうんと短いものがあります。広本と略本。
広本は古本と流布本とに分かれこれもそれぞれ何種類もある。
日本全国にあるすべての方丈記を集めてきて、研究者の優秀な頭脳で調べてもらう。冒頭で言ったように、調査収集事業なんだけれど研究と事業が密着しているわけです。二〇一二年は方丈記八百年。それにちなんで展示もします。鴨長明の自筆かとも言われているものも。

編集部

それはすごいですね!

方丈記、鴨長明自筆と書かれてある

寺島

これが大福光寺本といって、明治に発見されて大正十四年にこの写真版が出ました。それで一斉に「これは古い!」ということで、以来日本のすべての読書人はこれを読んでいます。
ところが江戸時代に印刷が広まって作られた流布本、明治・大正まではその流布本を読んでいたわけです。それが当時の日本人の方丈記だった。その流布本と大福光寺本を比べてみると、結構違うところがある。
つまり昭和以降の日本人はこれを読んでいて、明治・大正までの日本人は違う方丈記を読んでいる。芭蕉もまた別の方丈記を読んでいたということになります。

編集部

たとえばどんな風に違うんですか?

寺島

流布本の方丈記にしかない記事というのがあります。
五大災厄という、火事から始まり、つむじ風、飢饉などに続く最後の地震の記事です。ある武士がいてその一人っ子が塀のところでおままごとをしていた。急に地震がきて塀が倒れた。子どもはその下敷きになってピタッと潰れた。そこ、原文では「あとかたなく平(ひら)にうちひさがれて、二つの目など、一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、声も惜しまず悲しみ合ひて侍りしこそ、あはれにかなしく見はべりしか」です。子どもを失った悲しみでこんな荒っぽい武士でも恥を忘れて泣いていると。本当に気の毒でしょ?
こういった記事が江戸時代にはあってみんな読んでいたのですが、我々が読む大福光寺本にはないんです。
これについては説が二つあって、長明自身が書き変えたという説と、別の人が付け加えたという説と。
学界でも議論になっています。

編集部

それをどうやって調べるのですか?

寺島

それが難しい。方丈記八百年にはシンポジウムも計画しています。そこでも議論になるでしょう。

編集部

あらゆる文献についてそのようにされているわけですね?

寺島

ええ。調査と収集の事業は全国の研究者を動員して、そのご協力のもとに行っていますが、集められたデータはすべて当館の保管となる。資料の利用はこちらに来ていただくしかないんです。
それで今進行中ですが、収集したマイクロ資料をデジタル化し、インターネットにより全国どこからでも利用してもらえるようにしています。マイクロ資料のデジタル化は、本事業部が中心的に関わる計画で、国文学の活性化のためにも全世界から誰でも自由にアクセスできる仕組みは、とても望ましいですよね。

編集部

ところで方丈記って、四角い庵だからですよね?

寺島

そう、出家して四畳半ほどの方丈の庵を建てて住んでいたんです。出家するっていうことは全部を捨てること。全て捨てるとはこだわりを捨てること。
長明も頑張って捨てたんだけれど、実は彼はかなりの音楽家で、琵琶と琴を庵に持ち込んだ。それにこだわっていてね。

編集部

へえ~。

寺島

方丈記の終わりが面白い。
結局「私は全部捨てた。すっかり捨てた。こうして四畳半で楽しく暮らしている。ここが最高だ」って書いてある。
ところが、「こうしていいって言っていることが間違いじゃないか?」「四畳半暮らしがいいんだって言う私はダメな人間なんじゃないか?どうしよう」で終わっているんですよ。

編集部

こわいんですね(笑)。

寺島

出家して、無一物になりなさいって言われているのになれなかった。
私って一体なに?みたいなところで終わっている。
本質的な悩みですよね。それが文学なんですね~。

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