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街情報

立川通りをもう一度歩いてみる①日野橋交差点から

  • エリア 錦町
  • ジャンル 立川の歴史
立川通りを歩く(南編)(北編)を作ったのは2015年。
私が立川に住んで1年半という頃でした。
正直なところ、まだ右も左もわかりませんでしたが、
目についた不思議なものを写真にとってご紹介しました。

それから5年が経ちました。
立川の町の変遷というより、2015年当時の私が知らなかったことを織り交ぜながら、
再び立川通りを歩いてみます。

立川通りは都道です。管理は東京都ということになります。
起点は立川市錦町日野橋交差点。



甲州街道を少し東に行って表示を見ると、このようになっています。
現在、日野橋が通行止めですので「×」マークがついています。



日野橋交差点を西に行くと新奥多摩街道。



斜め西にいくと奥多摩街道。



現在、日野橋が通行止めになっている甲州街道、八王子方面。



東に行くと甲州街道。国立方面。



そして、北に進むのが立川通り。



少し歩いて、東側をみると木々がこんもりとしたところがあります。



旧立川町耕地整理記念碑。
この近くにある説明文によりますと、昭和10年から18年までかけて現在のような道路網ができたと書かれています。
実はこの耕地整理は立川の発展にきってきれないものだそうです。

現在なら自治体が区画整理事業を行いますが、この時は地域の組合で行われたそうです。
桑畑だった土地を整理して宅地にかえたことで、現在の錦町に乱開発もなく多くの人が住むことになりました。



実は昭和18年に立川駅北口で大規模な建物疎開が行われました。
この時に北口から錦町や羽衣町に移り住んだ方が多いと聞いています。
建物疎開については月刊えくてびあん2020年1月号立川深層に詳しく掲載されています。

by JK